2008年06月09日
臥龍山荘の石積み
某新人ブロガーのブログに触発されて行ってみました。臥龍山荘へ・・
ところが・・気になることが!
(説明板より)
「・・肱川畔随一の景勝地臥龍の渕一帯は、藩主加藤泰恒候が、桜を吉野から、かえでを龍田から移植して風情を加え、暦世の藩主遊賞の地であったが、補修されることもなく次第に荒れていった。明治30年頃、河内寅次郎氏がこの地を購入して、現在の如く建築、庭園等の結構を加えた。山荘は、不老庵・臥龍院・知止庵・庭園・臥龍蓬莱山とよりなっている。中でも臥龍院は桂離宮、修学院離宮、梨元御常御殿等を参考にして想を練ること10年、大工の草木国太郎をはじめ、漆工・金工・木彫り師などすべて京都の工匠を招き着工以来4年の歳月をかけて完成した。また、庭園は、肱川・冨士山を借景し、神戸の植徳が10年を費やして築庭、昔の美しさ、「流れ積み」「乱れ積み」「末広積み」など、石積みの工夫もおもしろい。山荘の景勝は、四季に亘ってそれぞれ風趣があり筆舌につくしがたい風致である。大洲市教育委員会は昭和31年9月、市の名勝に更に昭和57年4月、臥龍院、不老庵を有形文化財(構造物)に指定している。・・」
以上、説明板の丸写しです。
ここで気になるのが、「流れ積み」「乱れ積み」「末広積み」など石積み・・なのです。なぜこのような積み方をしたのか?しなければならなかったのか?する必要があったのか?また写真にもあるように「臼」のような器をなぜ埋め込んでいるのか?石垣から出ている樹木は以前はどうなっていたのか?積むときになぜ伐採しなかったのか?などなど、インディー・ジョーンズ 的関心の今日この頃です。
by EOS20D
ところが・・気になることが!
(説明板より)
「・・肱川畔随一の景勝地臥龍の渕一帯は、藩主加藤泰恒候が、桜を吉野から、かえでを龍田から移植して風情を加え、暦世の藩主遊賞の地であったが、補修されることもなく次第に荒れていった。明治30年頃、河内寅次郎氏がこの地を購入して、現在の如く建築、庭園等の結構を加えた。山荘は、不老庵・臥龍院・知止庵・庭園・臥龍蓬莱山とよりなっている。中でも臥龍院は桂離宮、修学院離宮、梨元御常御殿等を参考にして想を練ること10年、大工の草木国太郎をはじめ、漆工・金工・木彫り師などすべて京都の工匠を招き着工以来4年の歳月をかけて完成した。また、庭園は、肱川・冨士山を借景し、神戸の植徳が10年を費やして築庭、昔の美しさ、「流れ積み」「乱れ積み」「末広積み」など、石積みの工夫もおもしろい。山荘の景勝は、四季に亘ってそれぞれ風趣があり筆舌につくしがたい風致である。大洲市教育委員会は昭和31年9月、市の名勝に更に昭和57年4月、臥龍院、不老庵を有形文化財(構造物)に指定している。・・」
以上、説明板の丸写しです。
ここで気になるのが、「流れ積み」「乱れ積み」「末広積み」など石積み・・なのです。なぜこのような積み方をしたのか?しなければならなかったのか?する必要があったのか?また写真にもあるように「臼」のような器をなぜ埋め込んでいるのか?石垣から出ている樹木は以前はどうなっていたのか?積むときになぜ伐採しなかったのか?などなど、インディー・ジョーンズ 的関心の今日この頃です。
by EOS20D
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この記事へのコメント
石臼などがあったのですね、初めて知りました。
自分のふるさとについて、まだまだ知らないことがたくさんありますね。
自分のふるさとについて、まだまだ知らないことがたくさんありますね。
Posted by 田吾作
at 2008年06月09日 23:09
at 2008年06月09日 23:09大洲には知らないことや知らないところ結構多いです。
著名な偉人もたくさん輩出してますが、以外に知ってる方少ないです。
と言ってる自分もそうですが・・市の広報活動予算はどう!!
著名な偉人もたくさん輩出してますが、以外に知ってる方少ないです。
と言ってる自分もそうですが・・市の広報活動予算はどう!!
Posted by UJIN
at 2008年06月10日 06:48
at 2008年06月10日 06:48




